ギャンブル依存症の龍二のブログ

日々思っている事や、経験してきた事などを載せていきます。

今思えば、奈良ダルクは初期の初期

35歳になった年の2月、大阪マックのスタッフの紹介で、薬物に狂った彼女から逃げる様に、当時の奈良ダルクへ入寮した。


ダルクって、マックと違うところが薬物が主体で、だから墨が入ってるアウトローの人間がわんさかなんよね。

そのへんで、最初は苦労した。

仮釈放で刑務所から出てきて、3ヶ月から半年はダルクで過ごし、時期が来たら自己退寮するヤツが多かった。

そんな中で私が所属してたのが、私含め7人くらいのギャンブル依存症の部みたいな所だった。


確か、4月までの間はダルク所属で、デイケア内で2回分かち合いのミーティングをし、夜は近くのGA会場へ行き3回目のミーティングをしてた。

たまに、昼のミーティングをやらずに、エンカウンターグループミーティングという、8人ぐらいが輪になって、自分がわからないことなどを質問し、答えを受け取り、また、質問されたりを繰り返す。ってゆうのんがあった。

そのエンカウンターはつまり、対象者の外側の感情や意識から、内側へアプローチしていき、本当の感情や意識に気付かされるという、ありがたいものだった。


4月からは、同じ敷地内に新しく出来た、セレニティパーク・ジャパン(ギャンブル依存症専門)、へ他の仲間達と一緒に移った。

ここでは、リカバリーダイナミクスプログラムという、いわゆる自助グループでやる12ステッププログラムをわかり易くしたものを、最低3ヶ月間、AAのビッグブックを参考に勉強した。凄いスピードで。

勿論、夜はGA。

休みの日は、土日。土日のGAは自主的に参加してた様に思う。


この間、彼女から私への電話がひっきりなしに施設へかかってきてたらしく、スタッフが対応してた。そんな人居ないし、言えないよって。


携帯電話は、大体2ヶ月から4ヶ月したら返してくれていたので、電源入れてしばらく放置してると、彼女からメールや着信があったりしてた。

私は、ACの見捨てられ不安がとてもあって、身近な人との縁を切れない、切りたくても病的に繋ぎとめとこうとするのんがあり、彼女と連絡を取れる様にしてしまってました。

それが原因で、寮の近くの駅で会うことが、3回あった。

2回目までは、キスぐらいだけだったけど、3回目は、大阪の大正区に在る彼女の家まで行き、最後までやってしまった。

3回目に会った頃は、再度、隣のダルクへ移り、スタッフになろうとがんばっていたが、最後までやってしまったのをきっかけに、彼女へ情が入ってしまい、ちょうど周囲のアウトローの人ら共、仲良くコミュニケーションがとれてないのもあり、暫くして、彼女を追いかける為に自己退寮してしまった。


今思えば、奈良ダルクは初期の初期、自分自身の氷山の一角を見つけられた、非常に良い依存症回復施設だったと思う。


この奈良ダルクに入った事で、20歳以前の事が思い出せる事になったし、自分はおかしい、内なる娘が居ると思えたのも、この施設のおかげだったからである。


今回はひとまずこの辺で。

では、失礼します( `・∀・´)ノヨロシク