過去の自分を見付ける旅
10月中旬、元カノを追いかける為に、安易に施設を退寮した。
仕事をしようにもヤル気が出ないので、とりあえずNPO団体の力を借り、緊急一時保護施設に入った。
ある夜、携帯電話にスポンサーである、ギャンブル施設の施設長から電話があり、今ならまだ間に合うから戻ってきたら?と言われたが、その時は思考が元カノ一直線だったから、断わってしまった。
この時、断らずにギャンブル施設に帰っていれば、後々長い年月をかけて過去の自分を探さなくても良かった。後悔の一瞬であった。
12月に入り、NPO団体が間に入って、大阪市中央区の繁華街に住めた。
ここはかなり短期間で出るはめになった。
スポンサーであった施設長が、もう君の面倒はみれないと言われたので、ムカついてビール飲み、酔ったいきおいでパチンコ店を覗いてたらパチンコ店に入ってしまい、案の定やってしまった。
パチンコをやってしまったら、最後、行き着く所まで行き着くのが、ギャンブル依存症の怖い所。
施設長に電話で助けを求め、山梨県の富士五湖ダルクを紹介してもらい、電車賃の大半は着いてからスタッフが払ってくれるらしく、急いでNPOと不動産会社に電話して、理由を話し、カバン一つ持ち山梨へ行ったのを憶えています。
富士五湖ダルクの施設長、今だから言える、この人は私にとって付き合いが長くなった人の内の一人でした。
電車の運行時間上、静岡駅で降り、改札口までスタッフに迎えにきてもらい、車で深夜の高速道路を飛ばし、3時頃かなダルクに到着したよね。
当時の富士五湖ダルクは、ギャンブル依存症者をかくまってくれてました。
奈良の施設で一緒に暮らしていた、ギャンブル依存症の仲が悪くなった仲間と再開を果し、人から承認されたいという病的なAC体質をさらけ出すことに、この富士五湖ダルクで相成りました。
施設の寮で多数の人らと暮らしていると、ギスギスするものがあり、よくいざこざがありたした。
自分の立ち位置がわかると、慣れてきて、コミュニケーションが出来て、普通に暮らせました。
だけど、何かしらの当番をする時は、3人一組でやらなければならず、内二人が全く動かないので、代わりに私が認められたい欲求が出て、3人分の仕事をし、疲弊し、精神的に駄目になっていきました。
なんかね、最近学んでるけど、人から承認されたいって、思うのは止めて、承認されなくても良い、我が道を進むってのが、精神的に疲れない、一番良い方法らしいです。
今回はひとまずここまで。疲れました。
また、次回に以降を書きます。
ではまた、失礼します。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。